「危険察知能力」でゴールを防ぐ。言葉に隠された本質
鈴木啓太氏引退試合に思う
「危険察知能力」とは「いつも備える力」
守備も同様です。「大丈夫だろう」という守備が危険な場面を作らせてしまい、そして何度かに一回失点に繋がってしまうのです。だから常に、「何かが起こるかもしれない」という心もちでポジショニングや対応に気を配らなくてはなりません。
つまり、僕の中では、「危険察知能力」とは、「危険を察知する能力」ではなく、「いつも危険に備える能力」なのです。
プロの選手ともなれば、危険な場面というのは一瞬で起こります。それを察知してから対応するような時間はありません。「危険になりそうだったらやる」では間に合わないのです。
「危険察知能力が優れている選手」というのは、危険になりそうかどうかなど関係なく、愚直に同じことを繰り返しています。その内の何回かだけ、たまたまそこにボールがきて、危険を回避するプレーになって賞賛されますが、そうでないときにもいつも「危険な場面になるかもしれない」と思ってポジションを取っています。
決して「危険を察知したから」ではないから、他の人が遅れてしまったところもカバーすることができ、その愚直な何十回、何百回の中のほんの数回だけが“たまたま”ファインプレーになる。ご本人に聞いたことはありませんが、僕の目には、鈴木啓太さんもそんな感覚でプレーしていたように見えました。
ポジションこそ違いますが、僕も「危険察知能力が高い」と言われたことがあります。僕の場合はもう少し後ろのペナルティエリア内での勝負強さで生きてきました。
特に、優勝がかかった試合でのぎりぎりのクリアのイメージが強いのか、歴代の監督さんはいつも「優勝がかかった試合は絶対にお前を外さない」と言ってくれました。
思い出深いのは、3連覇を決めた浦和レッズとの試合でエスクデロ選手のシュートを左足のつま先で触ってかき出したプレーです。
今でもこの瞬間の「心」を思い出すことができますが、このシーンで僕がしたのはいつもの自分のプレーでした。決して「3連覇がかかっていたから」とか「危険だったから」ではなく、自然にいつもの自分が反応しました。
自然に動いた自分の足にボールがたまたま当たり、たまたまボールがゴールの上を通過してくれました。僕はゴールの上を越えていくボールを見たときに、試合中にも関わらず3連覇を確信しました。
何かを達成する時には必ず何かに導かれたような瞬間があります。それをサッカーの神様というのかもしれませんが、いまだにその得体は知れません。ただ、僕はいつも愚直さを試されているように感じます。
3連覇を成し遂げた2009年。僕はサッカー人生で最も愚直にサッカーと向き合えた年でした。
だから、ボールを見上げ、3連覇を確信した僕は、同時に「やっぱりな。」と思ったのでした。【岩政大樹の現役目線】
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